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コラム
2019年6月26日

陶芸家 今井 政之さん、眞正さん、完眞さん

いまい・まさゆき

1930年大阪市生まれ。広島県竹原市に移住した後、52年京都で故楠部彌弌氏に師事。53年青陶会同人に。同年、日展初入選。その後、独創の苔泥彩、象嵌技法で現代陶芸に独自の領域を確立。2011年文化功労者、18年文化勲章受章。

いまい・まきまさ

1961年政之氏の長男として京都市に生まれる。88年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。同大学非常勤講師、現代美術作家として活躍の後、91年京都に帰り陶芸家を目指す。造形力が特徴の作品で、2002年京都市芸術新人賞受賞。以後、国内外で積極的な作品発表を続ける。

いまい・さだまさ

1989年眞正氏の長男として京都市に生まれる。2015年東京藝術大学大学院美術研究科陶芸専攻修了。カニや魚など海の生き物を中心に写実を極めた作品を精力的に発表。竹原で祖父政之氏の助手も務める。

土と炎でつなぐ 三代の魂

祖父が拓いた創造世界

政之さん 太平洋戦争が終わり、父から「何か平和な仕事を」と言われましてね。父が骨董品を好きだったこともあり、それなら陶芸をやろうと。それなら、長い伝統と創造性豊かな京都の陶芸の世界へすぐにも飛び込みたかったのですが、戦後すぐの混乱期で難しい。そこで、京都の作家さんたちも来ていた岡山の備前などで5年ほど釉薬やデッサンなど焼き物の基礎を学び、ようやく昭和27(1952)年に京都の清水五条坂に来たわけです。すぐに楠部彌弌(くすべやいち)先生(※1)に師事し、研究会の「青陶会」に入って新進気鋭のメンバーたちと切磋琢磨しました。日展に出品しながら、自分の世界を創ろうと作陶に励んだものでした。

眞正さん 長男の私は小学3年生まで五条坂で育ちました。小さな借家の居間の隣が工房で、父は寄合窯(※2)で作品を焼いていたそうです。山科の清水焼団地に移ったのが昭和46年。楠部先生をはじめ錚々たる陶芸作家も移ってこられたのですが、私にとってはどなたも近所のおっちゃんという感じで(笑)。父の工房では、お弟子さんたちと一 緒に粘土を精製する「土叩(はた)き」の作業をよくやらされました。土叩きはしんどいですが、 陶芸家にとってベーシックで大切な作業なんです。遊び相手の子どもたちも皆、家は陶器屋。何から何まで焼き物とかかわる日々の中で、土が自然に私の体に染み込んでいったと思っています。

完眞さん 僕も特別に陶芸を意識したことはなかったのですが、記憶にもない昔に自分が作ったという亀が残っていて、幼い頃からものを作ることが好きでした。高校は京都市立銅駝美術工芸高校に入り、父と母、叔父(裕之)さんと同じように、僕も東京藝術大学を目指したわけです。

子も孫も陶芸の世界へ

眞正さん 実は私は、大学、大学院、そして非常勤講師と東京にいた10年間は、陶芸ではなくずっと彫刻をやっていたんです。当時、彫刻家のヘンリー・ムーアやマリノ・マリーノの大きな展覧会があったことが影響していたかもしれないですね。ただ、藝大の彫刻は粘土で原型をつくる塑造(そぞう)の授業が中心で、塑像を作れば粘土の役割は終わり。なぜ焼かないのか…。土が粗末にされ、かわいそうだと思いました。そして10年彫刻をやって、体に染み込んでいた土の魅力に目覚めました。そうか、京都に帰って陶芸をやろう、と。

政之さん (息子が)帰ってきた時、何も尋ねませんでした。「ああせい、こうせい」と言うことも一切言わなかった。 

眞正さん 父から直接学ぶことはせず、自由に作陶を続けました。父たちは陶芸を純粋な芸術にまで高めようと奮闘した世代。そのおかげで陶芸も芸術のジャンルに入ったわけですが、私は逆に工芸品としての焼き物もすばらしいと考え、作品を作ってきました。藝大時代、「工芸品みたい」とか「人形のよう」と評されるのはだめな作品のことでした。でも、京都に帰ってその呪縛が解けた。西欧の著名な彫刻家の作品よりもっとよいものが、京都では身近にいっぱいあることに気づいたんですよ。そうやってこれまで独創を目指してきましたが、最近は不思議とどこか父に似てきたなと思うことも(笑)。

完眞さん 藝大で陶芸を専攻し、ろくろばかりやっているころに、祖父とかぶらない自分なりの作品づくりに挑戦したことがあったんです。ところが、祖父の倉庫を探したらすでに同じようなものがあった。これは絶対に超えられないなと…。大学4年生や院生になるとやっと好きなものが作れるようになるので、造形物を焼き始めました。今は、カニや魚、野菜など生き物をモチーフに、写実をとことん突き詰めそのものらしさを表現しようと思っています。究極は、人工物なのに自然物に近づいていく作品。そこまで土を極めていきたい。

生き物をモチーフに三者三様の表現

政之さん うちの家族は、みんな生き物が好きでね。例えば、よく一緒に行く石垣島で観察した同じ生き物を、三代それぞれが作品に表現します。ご覧になるとわかりますが、同じ生き物なのに出来上がったものは違いますね。現れた形は違う。が、それぞれの作品には、京都を拠点に土と炎でその本質を表現しようという創造の魂が宿っている――これが、三代に共通する特徴だと思っています。自然の土を自然の火で焼く。私はこれを貫きたいですね。そのためにも、京都で登り窯が復活できるとよいですね。

【※1】楠部弥弌=[1897-1984]京都市生まれ。1927年帝展初入選。独自の釉下彩磁など新傾向の開拓と後進の指導に尽力。78年文化勲章受章。
【※2】寄合窯=京焼・清水焼で多く見られた共同の登り窯。自分で窯を持たない陶芸家らが必要なス ペースを借りて作品などを焼く。芸術品から工業製品まで多様な陶磁器が焼かれた。


出典:『京都文化力プロジェクト2016-2020 機関誌 vol.3』「創造する文化 京都から世界へ」

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