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活動アーカイブ
2020年3月11日

beyond2020プログラム認証事業 京都文化力

「京都文化力プロジェクト第4回推進フォーラム」開催報告

京都文化力プロジェクトでは、多くの方々に京都文化に触れていただくとともに、府民市民の皆様に参加いただくことにより機運を醸成していく様々な取組を行っています。今年度4回目となる推進フォーラムは、令和2年1月15日(水)に開催しましたところ、680名の皆様にご参加いただきました。

開催概要  当日プログラム

≪当日のアンケートより≫

・キャスティングが良い。バランス良い。他分野の先生の話も根の考えは一緒だと感じた。
・基調講演がとても良かった。禅が分かりやすく説明されていた。
・禅の心についてわかり易い話が伺えた。AIと人間、出来る事、してはいけない事、勉強になりました。
・AIのことを恐れないで自分らしく活かして生きよう。
・どのコメンテーターもわかりやすかった。宗教家・学者・エンジニアといったジャンルの異なる方々が素晴らしかった。
・今回のようなパネルディスカッションは、またお聞きしたい。続きで2回3回とあっても良い。
・ギアのパフォーマンスが見れて良かった。AIとどう付き合っていったらいいか分かって良かった。
・平日の昼間ではなく、夜又は休日。若者に聞いて欲しい。

 

オープニングパフォーマンス 「ギア -GEAR- 」

渡辺 あきらさん(ジャグラー)

山下 翔吾さん(マジシャン)

客席まで降りて披露されたマジックや、幻想的な光の中でのジャグリングなど、舞台上で繰り広げられるパフォーマーたちの素晴らしい技の数々に、劇場での本編への関心がさらに高まったと大好評でした。
 

基調講演「禅とくらしの文化」

松山 大耕さん(妙心寺退蔵院副住職)

(講演抜粋)

妙心寺は、今から650年ほど前に創建された、禅、臨済宗の総本山です。
禅には曹洞宗、臨済宗、黄檗宗と主に三つ宗派があり、臨済宗は妙心寺以外にも、大徳寺、相国寺、など、京都には大きな本山が七つあります。

禅には二つの特徴があり、一つ目の特徴は、しめすへんと、単純の単という漢字で表されるとおり、単、つまりシンプルであるということです。日本の禅寺、石庭、一汁一菜のお料理、坐禅など、全部シンプルにしていこう、これが禅の教えの中心にあります。
このシンプルであるというのが、忙しい世の中を過ごしている現在の私たちには、非常に重要ではないかと思っております。

二つ目は、禅は実践、体験を重んじるということです。言葉で教えを得るのではなくて、伝統的な修行や、生活を通して、自分自身の体で体験していくことを非常に重要視しています。

こういったものから、私たちの身近な生活の中の文化というのが生まれております。
まず、言葉ですが、師匠と弟子の問答で、生きるか死ぬかの真剣勝負が挨拶という言葉になり、普段どおりでの意味で使われている平常心は、ありのままの心を受け入れるという平常心(びょうじょうしん)からきた言葉です。
このように普段私たちが使っている何気ない言葉にも、実は禅の教え、禅の文化、といったものが反映されています。

次に、竜安寺の石庭が550年全く変わらずにあるのは、人それぞれの見方があり、自分の見方だけが正しいと思うなという教え、白い砂を敷くことで光を反射して部屋の中が明るくなるという生活の工夫、石庭にまっすぐ線を引くことによって集中力が生まれるといったように、教えがあり、実用的で、修行の場となっているからです。

墨蹟やベートーベンの「運命」が一流といわれるのは、見えないものを大事にしているから記憶に残ります。

武道というのは相手に勝つことが目的ではなく、自分の精神状態を極限まで持っていくというのが一番の目的です。剣の世界で「剣禅一如」という言葉があります。道とつくものには自分を高めていく、向き合うという、禅の影響を非常に色濃く残しています。

そして料理。知識として頭の中に持ってても、それがちゃんと実践できなかったら全く意味がないので、私たちの修行道場でも料理というのは、最も重要な修行の一つだと考えられています。自分でやるというのを非常に重んじる宗派ですから、料理というのは教えを実践するのに一番いい材料なのです。

今日は皆さんに禅と暮らしの文化ということでお話をさせていただいたわけですが、禅は私たちの暮らしの中に深く、知らないところまで浸透している。これが、一つの文化です。次のシンポジウムでは、人工知能、AIという話が出てまいりますが、果たしてこれから人工知能、AIというのが私たちの暮らしにどうかかわってくるのかというところを、皆様と探っていきたいと思います。

 

シンポジウム「AI時代とくらしの文化」

パネリスト

  • 松山 大耕さん(妙心寺退蔵院副住職)

  • 山極 壽一さん(京都大学総長)(京都文化力プロジェクト実行委員会理事・総合監修者)

  • 砂金 信一郎さん(LINE株式会社AIカンパニーLINE BRAIN室室長)

ファシリテーター

  • 濱崎 加奈子さん(有斐斎弘道館館長)                

(発言要旨)

■松山 大耕氏

情報の認識や統計など、数値に表せるものに関しては人間はAIに全くかなわない状況になるだろう。だからこそ、人間にしかない感情、感覚は人間自身が解決しなければならない問題だし、そこで人間とAIがうまくすみ分けをし、うまく調和させることが私たちの役割だろう。自分が何がやりたい、何が本当に面白いなど、そういった感覚的なことは身体性の連続の先にあると思う。AIの提案する効率性に自分の選択をすべて委ねてしまうと、人間の幅とか、本当にやりたいことが見つからないとか、そういったことにつながる気はしている。仏教には身体性が重要だが、坐禅、護摩焚き、回峰行などの非日常を通じて、それまでとは全く異なる世界の捉え方ができるようになる。このAIの時代に私たちの提供できる重要な要素は、身体性の伴った実際の体験や哲学であると思う。

■山極 壽一氏

人間はプライバシーを大事にするが、一方でいろいろな人とのつながりは保っていきたい。その二つの要求をAIやSNSが満たしてくれる。つまり、自分を他者の視線から守りながら他者とつながることが通信機器やAIによって担保されている時代なのだと思う。今の情報社会では個人情報が際限なく集積していき、ついには自分よりもAIのほうが自分のことをよく知っているということになりかねない。何もかもAIがエビデンスに基づいて指図してくれるという時代になるかもしれない。しかし、AIは身体や感覚器官を持っていないので、人間のような直感や感情に基づいた判断ができない。そういった人間の身体性が失われていくことを懸念している。多様性のない均一な社会は脆弱で、全くつまらないものになるだろう。社会は多様性があるからこそ、いろいろな人たちが出会い、面白いことが起こるはずだ。AIと人間は互いに違う能力として共存しなければならない。

■砂金 信一郎氏

AIは既に日常生活のさまざまな場面で導入されているが、主な活用法としては予測と認識がある。予測においてはAIが過去の個人情報に基づいて個人の行動や嗜好を予測し、それに対してレコメンド(推薦すること)を提供する。認識については顔認識や自然言語処理等がある。日本人はAIの精度に完璧を求める傾向が強いが、実際に何をもって完璧とするかは難しい。人間であってもミスは起こるものだ。むしろAIにおける課題は、誤った学習をさせないように人間が導くことであったり、あるいはプライバシーをはじめとする技術倫理の問題、そして人間が本来持つ身体性の問題だ。AIが提案することを人間は受け入れることに慣れると、自発的にものごとを考えたり、自分で何かを判断するなど、人間として重要な部分が欠落してしまう可能性が高いだろう。AIにはできない未知のチャレンジを見つけ出し、そこに人間らしさや気づきをうまく積み重ね、技術がもっと発展していくことが大事だと考えている。

 

「小品盆栽展~息する置き物」(ロビー)

小品盆栽 京都 広樹園

 

 

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